アルテイシアへ (魂の妹へ その2)
nijuu(二重)の、niji(虹)です。
前回ではなんとなく、不完全燃焼でモヤモヤしたので掘り下げます。
何遍も書いている
「あちら側」と「こちら側」について
関連の過去記事です
noraneko-tanaka19.hatenablog.com
互いにあざむきあって、しかもいずれも不思議に何の傷もつかず、あざむきあっている事にさえ気がついていないみたいな、実にあざやかな、それこそ清く明るくほがらかな不信の例が、人間の生活に充満しているように思われます。・・・中略・・・
自分には、あざむき合っていながら、清く明るく朗らかに生きている、或いは生き得る自信を持っているみたいな人間が難解なのです
もう一丁
海辺のカフカ/村上春樹 著 新潮文庫 上巻 p398より抜粋
「俺は変わった人間って、好きだよ」と運転手は言った。「こんな世の中で普通の顔をして、まともに生きていけるようなやつは、かえって信用できねえもんな」
正に我が意を得たり、特に村上春樹の作品にはこのような人間観、世界観が通底しているのをビンビンと感じます。
言ってみれば「あちら側」とはウソ、建前、上辺「こちら側」とは本質、本音
といった言葉を冠することが可能なのかもしれません。(あまり薄っぺらい言葉は用いたくありませんが…)
でもわかってますさすがに僕もこの年です。みんなそれぞれ、苦労しながら
あっちとこっちを行き来して、辛うじて生き延びて、妻子を養ったりしているのでしょう。
「我他彼此(ガタピシ)」という言葉もあります。人はその生涯の終わりにようやく
その二つの大河(「あちら」と「こちら」)の合流地点でひたすら遊びに興じることができるのかもしれません。
かなり、しつこかったかな?
キャスバル より