なぜ、生きる?

悩み、苦しみ、生きづらさを抱える皆さんと共に 移住や転職、不登校、大好きな本についても綴っていきます。日常のなかでのふとした学びや気付き、ココロの栄養のキッカケになれれば幸いです 

古(いにしえ)のレールを訪ねて 笹津線 その1


むかーしむかし、あるところに

 

つーか旧飛騨街道と平行するように

現、地鉄南富山駅高山本線の笹津駅を結ぶ軽便鉄道が活躍していました。

 

知る人はしっていますが…もう線路は20数年も前に自動車道に整備され、国道41号線の東側を走る抜け道になっています正式名称は「県道笹津安養寺線」。

 

令和の時代では「電車道」なんて呼ばれています。

 

今回フューチャーするのは、そんな

笹津線です。

旧大久保町駅の遺構です。現在では公衆トイレが建っていますが、島式ホームと即路線を備えていただけに広々としています。

 

徐々に南に南に、地元の年配の人はカマテ(上手)に行って見ましょう。

 

とその前に、まだ住宅が建ち並ぶ前の富山平野を真っ直ぐ南北に線路が走っていました。海へ向う北向き

山へ向う南向き、ひたすら真っ直ぐです。

 

旧大沢野北口駅の遺構です。少し前までは地元の相撲大会に供せられていた、土俵もあったのですが…今はブルーシートに覆われています。

 

 

少し遡ってこちらは旧田村町駅の遺構です。自転車置き場が当時の面影を偲ばせてます。

 

 

以下2点が旧八木山駅の遺構

蛇口をひねっても水は出ませんでした。

 

この近辺になると、日本カーボンや敷島紡績といった大企業のお膝元なので…

いわゆる「置屋」が軒を連ねていたそうです。

 

今は見る影も無くさびれていますが

 

往時は疲れたきった労働者達が翌週の鋭気を養ったり、接待のためのめくるめく濃厚でアダルティーな時間が繰り広げられていたのでしょうか…

 

ここからは自転車専用道になってます。

でも、草刈りや丁寧な維持管理はされていない様子

 

 

少し奥まで行ってみましょう。

 

 

論理的な思考をジワジワと蝕むセミの鳴き声も相まって

「ここは何処、わたしは誰?」的な気分にも浸れます。

 

続く