なぜ、生きる?

悩み、苦しみ、生きづらさを抱える皆さんと共に 移住や転職、不登校、大好きな本についても綴っていきます。日常のなかでのふとした学びや気付き、ココロの栄養のキッカケになれれば幸いです 

ノラネコ 富山編のフリダシ

 

先日はイベントがあってたくさんの人で賑わいました。

 

以前にもチラッと書きましたが、今の会社に転職してから仕事でこのスキー場に来た時に、「ああ、またこの場所に戻ってきたのか…」という感慨に浸りました。

関連記事です。

 

noraneko-tanaka19.hatenablog.com

 

自分の人生には大きく分けての東京編と富山編に分けられます。それぞれ約26年づつ。

 

自分がこれから「どう、生きていくのか?」という大きな決断を先延ばしにして、

寝袋やテントを詰め込んだバックパックを背負い、フラフラと気ままにヒッチハイクで旅をしていた大学卒業後の4年目の秋に、とある大事件が起きた。

「もう自分の人生をいい加減に定めなきゃ」と漠然とは考えてはいた農業の世界に飛び込む事を決意した。

 

場所的には人の縁が一番濃かった、ここ富山県が第一候補だ。

「草刈り十字軍」という活動を通して仲良くなり、現地の森林組合で働いている友達と連絡を取り合い、その年の冬、スキー場に隣接したロッジで住み込みで働きながら情報収集、農業関連の就職活動をした。

そのスキー場がない他でもない「ここ」だ。

 

あれから26年以上の歳月が経った。このスキー場も一時期、存続の危機に陥り、経営母体をNPOが引き継ぎ、今なお再建の途上だ。

懐かしのロッジもオーナーと名前が変わっていた。

 

あの頃の自分が今の自分を見たらどう思うか?業務がヒマな時はそんな感傷に浸る。

 

今考えれば、ロッジでの働きぶりはお世辞にも褒められたものではなかったけど…

 

人の御縁なのか、それが定められた自分の運命だったのか、その期間中に農業法人で働ける事になり、翌年の春に移住した。

散々の紆余曲折(本当に色々)はあったけど、この地富山県で伴侶と出会い子供も授かり、今もなお住み続けている。

 

 

いってみれば、ここは自分の人生の富山編のフリダシだ。

 

もうこれ以上、時間を遡って馴染んだ場所に赴くのであれば、後は東京に戻るしかニャいのかしら・・・