なぜ、生きる?

悩み、苦しみ、生きづらさを抱える皆さんと共に 移住や転職、不登校、大好きな本についても綴っていきます。日常のなかでのふとした学びや気付き、ココロの栄養のキッカケになれれば幸いです 

52才妻子持ち、転職☓☓回、未だに無職… どうする、俺? #12 ー3人のセッションー

 



都営住宅(昔は僕達もそこに住んでいた。)の傍に整備された、

かなり広いその公園は「武蔵野」の面影を残していた。

 

敷地内の一画には鹿が飼育されていたのが

ちょっとした名物だった。

(孔雀がいた事もあった!!)

 

キャストは多分、当時とは全部入れ替わってるだろう、檻のなかの動物達。

 

派手に着色された、

出来損ないの恐竜とバイキング船を足して二で割ったような姿をした遊具。

 

今の季節は、営業をしていない、

子供向けのプール。

 

一通りの思い出を存分に再確認した後で、再び車に乗り込み実家へ向かう、

後30分もすれば、妹が来る。

 

「ただいま」

母は居間でテレビを見て寛いでいた。

「おかえり、何か飲む?」

 

(いや、あんまり気い使わんで)と言いかけて

「じゃ、コーヒーお願い」

「え〜、ご飯前だよ、後にすれば」

「今はそういう気分なの」

 

なんていう母子の会話を楽しむ。

母は豆から電動のミルで粉にして

芳しい褐色の液体を淹れてくれた。

 

「これ、お前がプレゼントしてくれたんだよ、覚えてる?」

確かに昔は我が富山の家でも同じもの使っていた。でも、明確には覚えていない。

 

人間の(いや俺の?)記憶なんて曖昧でアテにならないモノだと

今更ながらに気付く

 

そうこうしているうちに

表に車のエンジン音が聞こえた。

 

妹が両手一杯にスーパーの袋を持って現れた

「お兄ちゃんひさしぶり〜」

 

「お〜ただいま」

久しぶりに見る血を分けた唯一の兄妹の顔

少し白髪はあったけど、前よりほっそりとして

とても、素直になったオーラが出ていた。

 

居間で早速、買ったばかりのお弁当を広げ昼食

(いや家族3人のセッション)が始まる。

 

ひと通りの近況報告を終え、話の内容が

どんどん深くなっていく。

 

亡き父も含めた3人に対する思い出、感情

が剥き出しのまま、ぶちまけられていく。

 

普段だったら、なかなか話題にできないような

ディープな内容まで踏み込んでいく

 

僕も妹も、時折うっすらと涙を浮かべた。

 

何十年にも渡る、家族の課題、わだかまり

がかなり天へ昇華していくのが分かった。

 

そういえば父を中心とした、この「家族」が

水入らずで話すのも何年ぶりだろうか?

 

こんな日が来るとは夢にも思わなかった。

 

感情の高ぶりが落ち着き、ひと通りお昼ごはんを食べ終わった後

母がお茶を淹れてくれた。それを飲み干すのを

汐に妹家族の新居を見に行く。

 

妹がハンドルを握る中古の大衆車の中で

今度は兄妹二人のセッションがはじまる。

 

今の職場がけっこう気に入っている事

母の喜寿のお祝いをどうしようかという件

夫の自慢や子供たちへの不満…

 

僕自身が以前に比べて、とても素直に妹をありのまま受けとめられる

ようになった事に内心、少しだけおどろいた。

 

自分の夢なり目標でパンパンに溢れていた頃

「俺はそれができただろうか?」

 

20分ぐらいかけて、新居に到着。

少ししてからのそのそと、甥と姪が姿を見せてくれた。

 

かすかに、面影が残っているものの

「変わったなー」というのが率直な印象。

 

いや、「成長した」が正解か、

自分が人生の下り坂に差し掛かり、明確な指標を見失い

徒にうろたえている真っ只中でも、

輝かしい可能性を秘めた、血の繋がった若人が

二人、目の前にいる…

 

そして、ここから北西へ350km離れた、我が家にこそ

実の子が二人。

 

甥の方は大学の後輩なので将来の事やキャンパスライフ

について話した、僕の息子と連絡を取りたいと言ってくれた。

 

姪とは富山に遊びに来てくれた時の思い出話に

花を咲かせた。

 

ひと通りの話題が尽きた頃、お互いに手持ち無沙汰になったので

妹を帰路へと誘った。「それじゃ、元気で」と別れの挨拶を済ませ車に乗り込む。

 

帰り道の車中でも、兄妹の話題は尽きない。

こうしてブログを書くこと、自分が外へ発信してるのは

妹の強い後押しがあってこそだと再認識する。

 

そして、実家の前に到着。母の喜寿の件をなんとか纏めて

お互いに別れを惜しみ、それぞれの日常を力強く歩んで行く事を誓い合って

僕は車を降りた。妹は今度は実家に立ち寄らず

来た道を走り去って行った。

車が見えなくなるまで妹を見送った。

 

玄関のドアを開けると母が迎えてくれた、そして居間に引き込み、

東京に滞在中の予定を話し合う。

 

必ず外せないのは父の墓参りと自分にとっては車で30分ほどの隣町に住む

恩人ともいえる人を久しぶりに訪ねる事。

 

お墓まで徒歩にするのか、バスを使うか、車で行くか

二転三転したが、

 

朝早い時間に車で墓参り

その後母を実家に送り、恩人と会う

もう一度実家にもどって、お土産をうけとり

富山へ向かう事に決まった。

 

つまり、今夜が最後の晩餐

(最後は少し大袈裟だけど)

 

僕は、その晩も母はありったけの情愛を授けてくれた。

そして僕はいくつか約束した。