52才妻子持ち、転職☓☓回、未だに無職… どうする、俺? #16 ーエブリバディ ウオンツ トゥ ルール ダ ワールドー
「あんた、大丈夫?」
峠にある茶屋でぶっ倒れるように座敷で横になってから
一時間ばかりがたったのだろうか、心配そうに店のお女将さんが声を掛けてくれた。
当然だ、こんな雨の日に10代なかばの男の子が一人で長時間横になっているのだから
「あ、大丈夫です。お陰様でゆっくりできましたから。」と返す、
警察に通報するでもなく、そのまま好きにさせてくれたのは
中々の優しさだと、その当時は気づかなかったし、勿論そんな精神的な余裕はなかった。
やりきったという達成感や充実感を遥かに上回る肉体的、精神的な疲労の中、
ゆっくりと僕はそれら回復を待った。
というよりこの茶屋はそれを許してくれた。
後は下るだけだ。とりあえず、もう少ししたら行くか。
あれほど容赦のなかった雨もいつの間にか小降りになっていた。
甲府盆地へと下り続けるVの字の谷をバックに、セルフタイマーを仕込み
ここまで、僕とともに頑張ってくれた愛機を前に両腕を添えて、画像に収まった。
そして、店内に立ち寄り「すみません、ありがとうございました」
とお女将さんに礼を言い、一路、山梨県の中心部を目指し国道の坂を一気に下った。
それから38年近くも経ったいまでも、中々ものごとを
人に頼めないのと、心配をかけまくるクセが治ってないなと感じる。
すぐ、中央道に乗らず、わざわざ柳沢峠を経由したのは
挫折や失敗そして「逃げ」を繰り返している僕の人生で
数少ない成功体験であり、「達成」だった。
そして、その場所を再び訪れた時(自動車でだが)どんな思いが去来するのか
どんな感情が僕を訪ねてくれるのか、それを味わってみたかった。
追記
今こうして様々な挫折、失敗、を味わい「逃げる」という解決策
を覚えてしまった今、なぜ、あの時、生命の危険を覚えてまで、
引き返すという選択をしなかったのか…
多分、中学2年生の時の失敗体験やその悔しさがとてつもなく大きかったんだと思う。
たしかに当時はなんとかやり遂げた。
でもおかげで、
「ものごとはやってみなけりゃわからない」や、思いこんだら、
他人に耳を貸さない等の副産物的なものも身につけてしまった。
本来なら「坂道が終わった」とでも表現するべきかもしれないけど、
その時は本当に「空が切れた」としか表現のしようがなかった。
そして、その時の経験はいまでも精神の奥底で僕を
支え続けていてくれて、約38年の時を経てもまったく色褪せない。
その当時と今の気持ちを忘れないよう
僕は動画を撮った、「ノラネコ、柳沢峠超え」としてそのうち
動画をアップしようと思う。