なぜ、生きる?

悩み、苦しみ、生きづらさを抱える皆さんと共に 移住や転職、不登校、大好きな本についても綴っていきます。日常のなかでのふとした学びや気付き、ココロの栄養のキッカケになれれば幸いです 

52才妻子持ち、転職☓☓回、未だに無職… どうする、俺? #13  ー塩船ー




父のお墓は国宝にもなっている地元では有名な

お寺の近くにある。幼少の頃は家族4人でよく

初詣に来てたっけ。


駐車場に車を停め、桶に水を汲んで線香を携え、坂を登る、

登りきった、すぐ角が墓所だ。

昔は、なんだか落ち着かない処だなー

なんて思ったりもしたけど、

里山を背にして中々の場所だと、今では思えるようになった。

 

母からのリクエストで束になった線香全部に火がつくように奮闘する。

それをイメージして、「できる」と思えた時

不意に遠くから鐘の音がきこえた。

 

「ゴーン」

この響き、神仏の御加護でありますように

 

墓前で心を無にして般若心経を称える、

富山では毎朝のように諳んじてきた。

 

でも、よく吟じてみると、

自分の悩みの解決策なんて全部すでにそこに記されているような気した。

三蔵法師様や色々な上人達による、気の遠くなるような時間や労力をかけて

僕にやってきてくれたその文字の中に

(四国で僕はそれらに出会った。)

 

とりあえず、今回の帰省で一番大切な事は済んだ。母もこころなしか満足気だ。

 

そして、母を実家へおくり届け、恩人夫婦の元へ車を走らせる。

 

そのご夫婦とのご縁は富山の家のすぐ近くに最終処分場の計画が

持ち上がった時だった。

その反対運動のためにひたすら助言を仰いだ、そして富山にも何度か来てくれた。

 

僕の二人の子供は自宅出産だけど、そのキッカケにも

なってくれた程、自分の人生に影響を受けた恩師とでもいえる人達だ。

 

実家から南に向かい車を走らせる、山道を登り峠を超え、

目印のお地蔵さんがあるY字路の細い方を右に入る、

再び坂を登ると、その家は変わらずにそこあった。

何年ぶりだろうとても懐かしい。

急な訪問でもあったにも拘らずそのご夫婦は気持ちよく迎えてくれた。

 

長らくの無沙汰を侘び、自分の家族の近況を伝えた。お互いに空白だった時間を

言葉で少しづつ埋めていく。

 

決して、「お上や体制」に従順な わけではなく数々の波風を乗り越えて、

それでもとても人間らしく生きて、立派に社会生活を営んでいる。

 

僕が知る由もない、多くの苦悩や苦労や試練もあったに違いない、

でも心の底から僕は感じた。

 

旦那さんの知性的でありながらも溢れるような人間味

如来様のような、奥さんの笑顔「ああ、なんてこの人達は『豊か』なんだろう」

 

そして、しばらくして僕はご夫婦の一人のお子さんに

会いに向かった。

 

向こうにとってみれば、いい迷惑かもしれないという微かな不安はあったけど

僕なりに勇気をふり絞った。

 

 

(ここでは、詳らかにはしない。ただ久しぶりに会って彼と話をしている時、

「俺たちは似ているなと感じた事」、メッセージを二つだけ伝えた事だけを

記します。)

 

妹の子供と同じ保育園だったという恩人夫婦の娘さん

そしてその友人のママさんとも

偶然の再会を果たした。

 

富山でも様々な人との出会いはあった。でも最終的にはどうしても

ケンカ別れのようになってしまう事を繰り返してきた僕に

 

東京に置き去りにしてしまった、

全く別の豊饒な世界があった事を

 

僕は改めて強く実感して、とても励まされた。